美しさは誰が決めるのか
私たちは日々、「美しい」という言葉に囲まれて生きている。
美しい顔。
美しい服。
美しい生き方。
しかし、その「美しい」は本当に自分自身が感じているものなのだろうか。
京都芸術大学の吉岡洋教授は、美しさとは絶対的なものではなく、時代や文化、環境によって形成されるものだと語る。
例えば現代では、顔の美しさが極端に重視されている。
SNSを開けば、加工された顔が並び、アルゴリズムは「美しい」とされる顔を繰り返し提示する。
いつの間にか私たちは、それを自分の価値観だと思い込む。
しかし平安時代の人々は、顔よりも声や教養、気配や香りに魅力を感じていた。
暗い夜の世界では、顔は今ほど重要ではなかったからだ。
つまり、美しさとは普遍的な真実ではなく、その時代の技術や環境が生み出した価値観でもある。
もしそうだとしたら、私たちが信じている「美の基準」もまた、絶対ではない。
NOT CONVENTIONALが問い続けているのも、まさにその部分である。
流行だから着る。
ブランドだから選ぶ。
みんなが良いと言うから欲しくなる。
それは本当に自分の感覚なのか。
私たちは服を通して、社会が決めた正解を疑いたい。
ダメージがあるから価値がないのではない。
歪んでいるから美しくないのではない。
古いから終わったのではない。
大量生産の時代だからこそ、一点ものに価値を感じる。
均質化された社会だからこそ、違和感に魅力を感じる。
それもまた、美しさの一つの形である。
NOT CONVENTIONALが目指しているのは、既存の美を否定することではない。
一つしかない美の基準から自由になることだ。
人は誰もが違う歴史を持ち、違う経験を積み、違う感性を育てている。
だから本来、美しさも一つである必要はない。
顔だけではなく。
年齢だけでもなく。
性別だけでもなく。
肩書きでもなく。
ブランドネームでもなく。
その人が生きてきた時間そのものに、美しさは宿る。
私たちは服を作っている。
しかし本当に作りたいのは服ではない。
その人自身が持っている美しさに気づくためのきっかけだ。
常識ではない。
慣習でもない。
誰かが決めた正解でもない。
あなた自身が感じる美しさを信じること。
それこそが、NOT CONVENTIONALの考える美学である。